川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

流星 336 山名宗全

 朝、一人で海沿いを走って来ました。今日は終戦記念日です。走りながら、父と母は大人として戦争を経験したんだなと、たった一世代の違いで大きな差だなと思いました。

「日本史1200人」336 山名宗全;名は持豊(1404〜1473)

武将、西軍総大将。6代将軍・足利義教を暗殺した赤松満祐を討伐した(嘉吉の乱)ことにより強大化した。顔が赤かったことから「赤入道」と呼ばれ、好戦的な性格は一休宗純に「毘沙門天の生まれかわり」と称された。やがて宗全の横暴が目立つようになり、婿の細川勝元との対立も深まった。ついに宗全側西軍11万、勝元側東軍16万の兵がぶつかる応仁の乱に発展した。戦況は膠着し、宗全の年齢による衰えは隠しようもなく、重度の中風に冒されて自筆もできず、和平を望んでいるという噂が頻繁に流れた。そして1472年に和平交渉を試みたが失敗して、失意のために自刃を図った。この時は未遂に終わったが、傷が悪化したのか、翌年に病死した。

「よいよいの毘沙門天や流星に 山名宗全 に 端遊」

流星が8月の季語です。死去の比喩として使いました。よいよいは中風の俗称です。宗全は粗野で乱暴な印象を受けがちですが、病気の家臣を見舞い、死去した家臣を悼んでいた記録があります。

習字は、「よいよいの」は弱く、「毘沙門天や」は歪んで、「流星に」は控えめに、というつもりで書きました。


f:id:tanyuu4792:20220815105847j:image