川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

大豆 347 東常縁

 朝、一人で海沿いを走って来ました。台風が本当に久しぶりに島に近づくようです。雨が降り、気温が下がれば最高です。

「日本史1200人」347 東常縁(1401〜1494)

武将、歌人室町幕府奉公衆として京都にあり、冷泉派でも和歌を学ぶが、二条派の尭孝に師事して学んだ。1455年に関東で享徳の乱が発生すると、8代将軍足利義政の命により、千葉兄弟を支援し転戦したが、成果は芳しくなかった。更に関東滞在中に応仁の乱が発生し、所領を斎藤妙椿に奪われた。しかし、これを嘆いた常縁の歌に感動した妙椿より所領の返還がかなった。その後、二人は詩の交流を続けたという。1471年には宗祇に古今伝授(「古今和歌集」の解釈を師から弟子に伝えること)を行い、後年「拾遺愚草」の注釈を送っている。

「歌が縁大豆採れたて送ります 東常縁 に 端遊」

大豆が8月の季語です。何しろ歌に感動して所領を返した仲ですから・・・常縁は古今伝授の祖として注目されますが、当時の歌壇の指導者であったわけではなく、むしろ二条派歌学の正説を伝えた歌学者としての功績が大きいです。

習字は、「歌が縁」はおおらかに、「大豆採れたて」は強弱をつけて、「送ります」はサラリと、というつもりで書きました。


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