川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

名月 360 善阿弥

 朝、一人で海沿いを走って来ました。昨日、町からマルソン大会の案内が来たので、思わずチョッと早くなりました。帰ってシャワーを浴びて体重を測ったら53.1kgと先週より1.2kg減っていました。55kgを覚悟していたので、びっくりしました。

「日本史1200人」360 善阿弥

作庭師。被差別民(河原者)の出身であったが、築庭の名手とされ「蔭涼軒日録」には、将軍・足利義政の寵愛を受けて室町殿の築庭に当たった様子が記されている。当時75歳を過ぎていた善阿弥は、しばしば病に倒れるが、そのたびに義政は薬を贈り、医者を遣わしており、身分の差をこえて築庭という行為を通して深く結ばれていたことが伺われる。善阿弥の作庭の遺構はないが、当時の評論によると「奇絶」で見飽きることがない作風であった。

「築山(ツキヤマ)の名月を背に奇絶なり 善阿弥 に 端遊」

名月が9月の季語です。秋の清澄な夜はいつも名月です。一杯頂きながら奇絶な築山を愛でたいなァ・・・子の小四郎らも庭師として仕え、慈照寺(銀閣寺)の庭園は彼の子の二郎、三郎、および彼の孫の又四郎による作品です。河原者とは、河原を集落とする中世の被差別民を指します。さまざまな雑役に従事しましたが、高い技術を持つ人が少なくありませんでした。

習字は、「築山の」はスッキリと、「名月を背に」はサラリと、「奇絶なり」は大胆に、というつもりで書きました。


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