川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

稗 362 村田珠光

 朝、一人で海沿いを走って来ました。帰って台風の状況を見たら、暴風域はなくなっていました。嫁さん今日東京に行っても良かったんだろうな、とは思いましたが、心配しないで済んだ分、18日に出て正解とも思いました。

「日本史1200人」362 村田珠光(1423〜1502)

茶の湯の開祖。11歳の時、奈良の浄土宗・称名寺に入り出家し、20歳以前に寺を出て、その後の経歴は不明である。 応仁の乱の頃には奈良に帰るが、寺には戻らずに東大寺の近くで庵を営む。この庵での茶の湯から「わび茶」が創始されたといわれる。臨済宗大徳寺一休宗純に参禅し、茶禅一味(茶と禅の求めるものは同一)を追求し、わび茶の精神をつくり出したともいわれる。古市播磨法師への「この道、第一わろき事は、心の我慢・我執なり。功者をばそねみ、初心の者をば見下すこと、一段勿体無き事どもなり・・・」の手紙は有名である。

「稗食ってゆったりお茶を侘び住い 村田珠光 に 端遊」

稗が9月の季語です。昔は食用にしていました。貧乏の象徴のような雑穀です・・・名物<珠光茶碗>とは、青くなるべき青磁が、技術的な不備で赤褐色になった中国民窯製の雑器です。四つの<珠光茶碗>のうちの一つを千利休が購入し、若かった頃の茶会で使用しました。

習字は、「稗食って」はサラリと、「ゆったりお茶を」はおおらかに、「侘び住い」はフワリと、というつもりで書きました。


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