川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

芋 363 武野紹鴎

 昨夜は突然、友に飲みに誘われ、東京から来た記者さんも交えて楽しく過ごしました。で、朝は1時間半遅れで起き、一人で海沿いを走って来ました。

「日本史1200人」363 武野紹鴎(1502〜1555)

堺の豪商で茶人、千利休の師匠。27歳の時、当時の最高の文化人であった三条西実隆を訪ね、古典や和歌についての教えを受け、30歳になるまで連歌師をしていたとされる。32歳の時「白鷺の絵」を見て、非常に美しい絵の表装を、あえて枯淡なものに差し替えた、村田珠光の茶道の茶味に目覚めたといわれる。紹鴎が目指した茶の湯の境地とは「枯れかじけ寒かれ」であったとされ、これは連歌師・心敬の言葉から引いたもので「木は枯れ、手はかじかみ、骨身に寒さが染みる」という情景である。歌道という、藤原定家らによって体系化された文化と、茶道が融合して芸術的な日本文化に昇華するに至ったともいわれる。

「芋一つその豊かさを歌に茶に 武野紹鴎 に 端遊」

芋が9月の季語です。芋が一つだけゴロン、それこそが豊かと、誰か歌ってないかな・・・わび・さびの由来である言葉「侘び」「寂び」も歌道由来の言葉・概念であり、これらを茶道の思想に持ち込んだのは村田珠光だともいわれますが、紹鴎が歌人でもあったことから、わびさびの概念を産み出したのは紹鴎ではないかともいわれます。

習字は、「芋一つ」はおおらかに、「その豊かさを」はサラリと、「歌に茶に」は明るく、というつもりで書きました。


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