川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

紅葉散る 178 マリ・ド・メディシス

 朝、善福寺川沿いを走って来ました。フォームを考えずに前を見て走ったら疲れませんでした。今日はホテルのランチバイキングを食べに飯田橋まで行きます。楽しみです。

178 マリ・ド・メディシス(1573〜1642)

フランス・母后。イタリア名門メディチ家出身のマリは27歳の時、マルゴ王妃と離婚したアンリ4世に嫁いだ。アンリ4世はマリの持参金を国の財政に充てようと目論んだが、マリの浪費癖で支出は莫大になったという。子・ルイ13世が即位するとマリは摂政として重責を担った。しかしイタリア出身のコンチーノを重用し、カトリックを養護した結果、国民や貴族から反発を招いた。さらにルイ13世を政敵ハプスブルク家スペイン王女と結婚させるなど、アンリ4世の政治に逆行するもので、遂にルイ13世によってブロワ城に幽閉された。脱出したマリは反乱を試みたが失敗し、フランスを追われてドイツで亡くなった。

「寂しくて子にも我儘紅葉散る マリ・ド・メディシス に 端遊」

紅葉散るが11月の季語です。27歳で嫁いだので当時としては初めから紅葉かもしれませんが・・・メディチ家からフランス王家へ嫁いできたばかりのマリはフランス語も分からず、愛人の多い王は留守がちという孤独な状況で、毎日のように宝石を買うなど浪費に身を任せていたといいます。

習字は、「寂しくて」は弱く、「子にも我儘」は強く弱く、「紅葉散る」はサラリと、というつもりで書きました。


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