川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

除夜 ウィリアム3世

疲れが出たのか、今日はゆっくり起きました。シャワーを浴びようとしたら電気がつかず、提出期限の切れた郵便物が2通・・・など、あれやこれやで一日が過ぎました。

「世界史1200人」210 ウィリアム3世(1650〜1702)

イギリス王、妻はジェームズ2世の娘メアリ。ジェームズ2世カトリック擁護と専制政治に対し、イギリス議会はこれを拒絶しオランダ統領ウィレムを招聘した。翌年にウィリアム3世として即位し、メアリと共同統治を始めた。あらかじめ「議会の意思に反して課税や立法、行政などを行ってはならない」旨を議会から承諾させられ、これは「権利の章典」として法文化された。これはイギリスの立憲君主制の根幹として、その後の法に大きな影響を与えた。ウィリアム3世の生涯は、オランダに対するフランスの侵略と戦うことに費やされた。ロンドンはメアリー2世が留守を預かっていたが天然痘で没した。嫡子がいないまま、落馬事故がもとで死亡した。

「退(ド)け議会退けフランスと除夜の鐘 ウィリアム3世 に 端遊」

除夜が12月の季語です。大晦日の夜です。イギリスにも除夜の鐘があります。毎年戦いで、気づいたら鐘・・・当時イングランドは、太陽王ルイ14世のフランスの衛星国のような存在でしたが、ウィリアム3世イングランドを反フランス路線に引き込みました。そもそも名誉革命自体が、この目的のための政変劇に過ぎないとする見方があります。

習字は、「退(ド)け議会」は強く、「退けフランスと」は大胆に、「除夜の鐘」はスッキリと、というつもりで書きました。


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