川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

温め(ヌクメ)酒 114 タキトゥス

 朝、一人で海沿いをロングランして来ました。昨日に続いてのロングですが、どうしたら楽に走れるか、考え考え走りました。

「世界史1200人」114 タキトゥス(55〜120)

歴史家・政治家。著作はローマ帝国の衰亡を憂い、共和制時代の気風の回復を訴えるものが多い。これはタキトゥスが「頽廃」の影響の少ない属州出身者、騎士身分の出身であったこと、ローマの風俗の引き締めを見たこと、「暴君」を経験したこと、そしてタキトゥスの著作が自由な言論が許される環境であったことなどが考えられる。ゲルマン人の習俗を紹介した「ゲルマニア」では、蛮族とさげすまれている民族のなかに質実剛健で高潔な精神が息づいていることを明らかにし、退廃の極みにあった同時代のローマ人に警鐘を鳴らしている。また大作「同時代史」は、ネロ帝の自殺後から五賢帝時代の始まりまでの28年間を扱った作品で、ごく一部が伝わるにすぎないが、帝位をめぐる醜い争いを余すところなく描き、支配者の悪徳を暴露している。

「勧善も懲悪もホレ!温め(ヌクメ)酒 タキトゥス に 端遊」

温め酒が10月の季語です。文字通り温めたお酒です。タキトゥスはチョッと堅いので、力を抜いて・・・と思いました。彼は共和政時代からの伝統である元老院主導による政治を懐かしむ傾向が強く、元老院を重んじた皇帝達に対する評価は高く、軽んじた皇帝達に対する評価は低いです。特にティベリウス帝に関しては、治世中にユダヤ総督がイエス・キリストを処刑したことなど、辛辣に書かれており、後世の歴史家達が再評価を進めるまでは「悪帝」との評価が一般的でした。

習字は、「勧善も懲悪もホレ!」は賑やかに踊るように、「温め酒」はシンプルに、というつもりで書きました。


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新走り 113 リウィウス

朝、一人で海沿いをロングランして来ました。途中、雨が降りましたが快適に走ることができました。帰ってから、昨日整理した衣類をゴミとして出しました。嫁さんは読み聞かせに行きました。 

「世界史1200人」113 リウィウス(前59〜後17)

歴史家。アウグストゥスの庇護を受け、年代記と物語を織り交ぜて142巻にも及ぶ「ローマ建国史」を著した。リウィウスは本書の序章でローマの発展をもたらした指導者の活動と、政情不安の原因である道徳的な腐敗を、描き出すことを目指すと述べている。そして読者にはローマ国民がいかに生き、どのような風俗習慣を持ち、どのように領土を拡大し、またどのように風紀が乱れていったのかを読み取ることを求めている。その文体は、カエサルキケロといった秀逸な書き手とは一線を画し、詩的で古典的な文章であった。また詩的表現のため事実とフィクションの区別をそれほど行わなかった。「ローマ建国史」は全巻が書き終わる前から10巻単位で出版された。歴史の記述に文学表現を織り交ぜた作品は古代から中世そして現代に至るまで高い評価を受け続けている。

「史を謳う歓喜腐敗を新走り リウィウス に 端遊」

新走りが10月の季語です。新米で醸造した酒です。謳うには新酒が必要と・・・思いました。ローマの成立と共和政初期を描いた最初の10巻と、第二次ポエニ戦争を主題とする第21巻から第30巻までの10巻は、千数百年を経た現在でも多くの人々に愛されています。

習字は、「史を謳う」は曲線的に、「歓喜腐敗を」はコントラストを付けて、「新走り」はスッキリと、というつもりで書きました。


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小寒 112 ポリビオス

 朝、雨模様なのでバイクを漕ぎました。シャワーを浴びて体重を測ったら52.7kgと先週より0.7kg減っていました。53kg前後がいいなと思っているので、このままいければと思います。

「世界史1200人」112 ポリビオス(前200〜前120)

ローマに抑留されたギリシア人の歴史家。ローマのバルカン半島進出期に父を助けて祖国アカイア同盟の独立の維持に努め、やがてローマの賛美者となった。代表作「歴史」は、40巻からなるギリシア語の史書であり、第二次ポエニ戦争前後から第三次マケドニア戦争まで(前220~前168)のわずか53年間に、ローマが急速に地中海世界を事実上の支配下に統合した経過とその理由の究明を中心テーマとし、世界史的視野を強調しつつこれを叙述している。またローマ興隆の原因の一つとして、政体循環論に基づきローマの国制の優秀性を説いた議論は有名である。政体循環論は、政体を1.王制 2.専制 3.貴族制 4.寡頭制 5.民主制 6.衆愚制 のように6分類し、政体はこの順番通りに転落・堕落して滅び、また1から始まって繰り返すといっている。

「民主去り小寒い衆愚ンッ王様! ポリビオス に 端遊」

小寒が10月の季語です。どこか寒い、そこはかとなく寒いの形容で、衆愚制に掛けました。句は5→6→1としました。ポリビオスは、歴史を政治家の教訓の宝庫とみなし、そのため事実を客観的に記述し、因果関係を明らかにしました。「歴史」は前3、2世紀の地中海世界の歴史を知るうえでもっとも重要な史料です。

習字は、「民主去り」はスッキリと、「小寒い衆愚」はその感じに、「ンッ王様!」は幼く、というつもりで書きました。


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濁酒(ドブロク) 111 プロティノス

 朝、一人で海沿いをロングランして来ました。長寿には激しい運動は禁物のようですが、僕のランはどうかと思いながら走りました。

「世界史1200人」111 プロティノス(205〜270)

ストア派後の古典哲学の代表者で、新プラトン主義創設者とされる。神秘思想はキリスト教神学につながる。プロティノスの思想はプラトンイデア論を受け継ぎながら、その二元論を克服しようとしたものである。プラトンの「パルメニデス」に説かれた「一なるもの」を重視し、語りえないものとして、これを神と同一視した。万物(霊魂・物質)は無限の存在である「一者」から流出した理性の働きによるものである(流出説)。一者は有限の存在である万物とは別の存在で、一者自身は流出によって何ら変化・増減することはない。あたかも太陽自身は変化せず、太陽から出た光が周囲を照らすようなものである。光から遠ざかれば次第に暗くなるように、霊魂・物質にも高い・低いの差がある。また、人間は「一者」への愛(エロース)によって「一者」に回帰することができる。一者と合一し、忘我の状態に達することをエクスタシスという。ただし、エクスタシスに至るのは、ごく稀に少数の人間ができることである。プロティノス自身は生涯に4度ばかり体験したという。

「一者へは愛と忘我か濁酒(ドブロク)か プロティノス に 端遊」

濁酒(ドブロク)が10月の季語です。糟(カス)を漉さない、白く濁った日本酒です。神に近づくにはドブロクもありかな・・・プラトンの「パルメニデス」に説かれた「一なるもの」の結論は

<「一」があるとしてもないとしても、「一」と「一」以外は、「自分自身に対する関係」と「相互の関係」において、「あらゆる仕方」で「あらゆるもの」であるとともにまたないのであり、そう見えるとともにまた見えないことになる。>

とのことで、僕には全然分かりません・・・

習字は、「一者へは」はスッキリと、「愛と忘我か」はデザイン的に一部を太く、「濁酒か」はサラリと、というつもりで書きました。


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天高し 110 エピクテトス

 朝、隣町のランは休みなので、近くを散歩しました。先ず、一人5万円のコロナ援助費申込書をポストに投函して、それから最西端の灯台に行ってきました。

「世界史1200人」110 エピクテトス(55〜135)

古代ギリシアストア派の哲学者。苦難の中にあって平静を保つことや、人類の平等を説いたその教えは、皇帝マルクス・アウレリウスの思想にも引き継がれており、ストア主義の歴史上重要な意味を持つとみなされている。もとは奴隷であったが、自由人となったエピクテトスは哲学の教師となった。しかし89年に皇帝ドミティアヌスが出した哲学者の追放令のために、ローマを離れギリシア東部の大都市ニコポリスに落ち着いて哲学の学校を開いた。これはきわめて有名になり、皇帝ハドリアヌスも訪問したほどであった。後年エピクテトスは片足の自由がきかず、そのことが何度か「語録」で触れられている。これは奴隷時代の残酷な虐待の結果といわれることがあるが、片足の自由がきかなくなった理由については「語録」で述べられておらず、はっきりしたことはわかっていない。

「平等の奴婢の哲学天高し エピクテトス に 端遊」

天高しが10月の季語です。本来は秋の空を形容する言葉ですが、澄み切った高さを平等の哲学に掛けました。エピクテトス自身は著作を残しませんでしたが、アッリアノスがエピクテトスが話すのを「できるだけそのままの言葉で」書き留めたものが「語録」であり、その要点をまとめたものが「提要」です。すべてのストア哲学のテキストの中でおそらく最も広く読まれ、影響力の大きなものであるといわれます。

習字は、「平等の」はサラリと、「奴婢の哲学」は曲線と直線を組合せ、「天高し」は大胆に強く、というつもりで書きました。


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身に染む 109 セネカ

 朝、一人で海沿いをロングランして来ました。ギックリ腰がほぼ良くなったので、いつものペースで走ってみました。初めは恐かったのですが、だんだんしっかり走れました。

「世界史1200人」109 セネカ(前5〜後65)

ローマ皇帝ネロの幼少期の家庭教師としても知られ、また治世初期にはブレーンとして支えた。晩年の62年、ネロへも影響力を持っていたブッルスの死によって、セネカは力を削がれることとなり、オクタウィアとネロの離婚、そしてオクタウィアの処刑を阻止できなかった。また、セネカも横領の罪で告発されたため、これを機にローマ帝国から得た財産の全てをネロへ返還し、今後は研究のために生涯を捧げたい旨をネロに伝えたが、引き続きアドバイザーとして関与するよう要請された。さらに、64年のローマ大火の際には「ローマから離れて地方で暮らしたい」とネロへ要望したが叶えられなかった。65年、ネロを退位させる陰謀計画が露見した。ネロはセネカを尋問するべく役人を送ったが、セネカは曖昧な対応に終始したためネロは自殺を命じた。セネカは最期に次のように語ったとされる。「ネロの残忍な性格であれば、弟を殺し、母を殺し、妻を自殺に追い込めば、あとは師を殺害する以外に何も残っていない」

「身に染むや老いの繰り言空を切り セネカ に 端遊」

身に染むが10月の季語です。(人生の)秋の心にまで染みそうな冷たさです。何度か繰り言を言ってはネロに断られたセネカの晩年に掛けました。セネカストア派哲学者としても著名で、多くの悲劇・著作を記し、ラテン文学の白銀期を代表する人物と位置付けられます。

習字は、句全体が同じトーンなので、字形は似た感じにし、「身・老・繰・切」の一部を太くして、アクセントを付けました。


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懸巣(カケス) 108 キケロ

 朝、まだギックリ腰が直らないので、今日もゆっくり走って来ました。それでも、最後の方はいつもの走りができました。

「世界史1200人」108 キケロ(前106〜前43)

政治家、文人で、雄弁家としても有名である。文章はラテン散文の模範とされる。また、哲学者としても、ギリシア哲学の西洋世界への案内人として、多大な影響を残している。キケロには、多くの弁論や演説が現存するが中でも、「カティリナ弾劾演説」は有名である。演説において、キケロの死刑案とカエサル終身刑案とを比較し、国家に対して反逆を企てた首謀者たちは、もはや「ローマ市民」たりえず、死刑こそが最善の選択であると結論付け、その結果、即日首謀者らに絞首刑が執行された。しかし一方、声高に主張したキケロ自身もいささか強権的であり、ローマ市民の生命に係る判決は、民会の法的権限において実施されるという原理原則に反するとの批判を受け、自らもローマを追われ、国外へ亡命することを余儀なくされることとなった。

「ローマこそ口は災い懸巣去る キケロ に 端遊」

懸巣(カケス)が10月の季語です。うるさく、ものまねが上手い鳥で、雄弁家のキケロに掛けました。紀元前44年のカエサル暗殺後に後継者に座ろうとするアントニウスに対して、キケロは数次にわたる弾劾演説を行なったため、翌年、アントニウスの放った刺客により暗殺されました。このとき、キケロの首だけでなく右手も切取られて晒されることとなったそうです。

習字は、「ローマこそ」はスッキリと、「口は災い」はネッチリと、「懸巣去る」はとぼけて、というつもりで書きました。


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