川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

心太 50 ヘラクレイトス

朝、隣町に行き初めて一緒する友と、二人で楽しく走り、おしゃべりして来ました。これから楽しくなりそうです。 

「世界史1200人」50 ヘラクレイトス(前550〜前480)

哲学者。エフェソス(現トルコ)出身。「万物は流転する」と考え、自然界は絶えず変化していると考えた。変化と闘争を万物の根源とし、火をその象徴としたのである。燃焼は絶えざる変化であるが、常に一定量の油が消費され、一定の明るさを保ち、一定量の煤がたまるなど、変化と保存が同時進行する姿を示している。また、「万物は一である」とも「一から万物が生まれる」とも述べ、哲学史上初めて、「根源的な一者」と「多くの表面的なもの」との関連を打ち出した人物としても注目されている。時代の風潮を厳しく批判し、難解で陰鬱な文章を著し、「暗い人」「泣く哲学者」と呼ばれた。

「自然界万物流転心太 ヘラクレイトス に 端遊」

心太(トコロテン)が7月の季語です。天草で寒天を作り、心太突きでニョロっと流転して完成です。ダジャレです。ヘラクレイトスは誇り高い性格で、友人が民衆により追放されたことに怒り、政治から手を引きました。そしてアルテミス神殿に退いて子供たちとサイコロ遊びに興じたため、人々が不審に思い理由を尋ねると「おまえたちと政治に携わるより、このほうがましだ」と答えたといいます。

習字は、「自然界」は太い細いを強調して、「万物流転」は太い細いに強弱を加えて、「心太」は力強く、というつもりで書きました。何枚も書いて、結局初めに書いたものを載せることにしました。


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灼く 49 ピタゴラス

 朝、一人で海沿いをロングランして来ました。シューズを0.5cm小さくしたので親指の爪が少し赤くなって来ました。少ししてから、健診結果を聞きに公民館に行きました。10kgやせたので血液検査の大体の数値が改善されていました。

「世界史1200人」49 ピタゴラス(前570〜前495)

哲学者・数学者、宗教家。イオニアのサモス島出身。紀元前6世紀に、和音の構成から惑星の軌道まで、多くの現象に数の裏付けがあることに気がつき、あらゆる事象には数が内在して、数字と計算によって解明できるという思想を確立した。この思想にもとづいて創始した教団は、宇宙の真理を追究しようとした。ピタゴラスの定理ピタゴラスが一人で発見したのではなく、この教団による成果であり、教団ではこの定理の重大性を記念して、百頭の牡牛を生贄に捧げて発見を祝ったという。一方でピタゴラスは数の調和や整合性を不合理なほど重視し、そのため教団の1人が無理数を発見したとき、その存在を認めるかわり、発見者を死刑にしてしまった。無理数の存在は、彼の思想を根本から否定するものだったからである。

「数の美に生贄捧ぐ人智灼く ピタゴラス に 端遊」

灼くが7月の季語です。真夏の日中、全てを灼きつくすような暑さの象徴です。無理数の発見者を刑死したことに掛けました。ピタゴラスが組織した教団は秘密主義で、内部情報を外部に漏らすことを厳しく禁じ、違反者は船から海に突き落として死刑にしました。そのため教団内部の研究記録や、ピタゴラス本人の著作物は後世に一点も伝わっていません。しかしその思想はプラトンらに影響を及ぼし、地動説などにも業績を残しました。

習字は、「数の美に」はスッキリと、「生贄捧ぐ」は細い太いを強調して、「人智灼く」は力強く、というつもりで書きました。


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水中り 48 タレス

 朝、近くの友は用時が出来たので、一人で海沿いをロングランして来ました。ランニングシューズを、これまでより0.5cm小さい25.5cmにして走りましたが、今のところ大丈夫そうです。

「世界史1200人」48 タレス(前640〜前546)

哲学者。イオニアのミレトス出身でミレトス学派の祖である。皆既日食の予言、ピラミッドの高さの測定、ナイル川の氾濫の考察などで知られる。彼が「哲学の父」とよばれる由縁は、それまでは神話的説明がなされていたこの世界の起源について、合理的説明をはじめて試みた人だという点にある。すなわち彼は万物の根源(アルケー)を「水」と考え、存在する全てのものがそれから生成し、それへと消滅していくものだと考えた。そして大地は水の上に浮かんでいるとした。世界は水からなり、そして水に帰るという説を唱えたのだった。最期は体育競技を観戦していて、暑熱と渇き、または老衰によって死亡したとされる。

「万物の起源は水と水中り タレス に 端遊」

水中り(ミズアタリ)が7月の季語です。飲み水が原因で病気・下痢になることです。ダジャレです。タレスが一般の人によく知られているのは哲学よりも、中学校の数学の教科書に必ず出てくるタレスの定理です。これは「半円に内接する角は直角である」という定理です。タレス自身が円周上の点と円の中心を結び、2つの二等辺三角形を作ってこの定理を証明したために、この名前がついたといわれています。

習字は、「万物の起源は」は細い太いを強調して、「水と」は力強く、「水中り」は弱々しく、というつもりで書きました。


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虹の橋 47 プラクシテレス

 島に先程、暴風警報が出ましたが、それほど強くはなく、防風戸を閉めることなく、風に揺れる植物などを見ています。バイクを漕ぎ、シャワーの後に体重を測ったら、54.4kgと0.9kg増えていました。

「世界史1200人」47 プラクシテレス(前360頃)

前4世紀中期の彫刻家。前5世紀の彫刻が神々の威厳を表したものが多いのに対し、人間的で優美な神像を制作する。裸体像を得意とし「クニドスのアフロディテ像」「ヘルメス像」が有名である。初めて等身大の女性のヌード像を作った彫刻家であり、その美しいモデルだったテスピアイの高級娼婦フリュネとの関係は、絵画・音楽・影絵といったさまざまな作品で、憶測を生んでいる。オリジナルの「クニドスのアフロディテ像」は、ビテュニア王がクニドスの莫大な借金全額を免除してやるから売って欲しいと言ったのを、クニドスの人々が拒んだほど高い価値を持つものだった。

「初めてのヌード千金虹の橋 プラクシテレス に 端遊」

虹の橋が7月の季語です。アフロディテ像には千金の価値があり、虹の橋が似合うとイメージしました。プラクシテレスが好んだ題材は「人間」もしくは威厳ある「神」でした。神の場合は、ゼウス、ポセイドーン、アテーナーといった古い神よりも、アポローン、ヘルメース、アプロディーテーといった若い神に魅力を感じたようです。

習字は、「初めての」は控えめに、「ヌード千金」は曲線と直線で、「虹の橋」は柔らかく、というつもりで書きました。


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片蔭 46 フェイディアス

 外は、台風6号のため風雨が強くなっています。でも、台風は与那国島を外れるようで、チョッと、のんびり過ごしています。

「世界史1200人」46 フェイディアス(前490〜前430)

ペリクレスと親交があり、アクロポリス復興を開始した紀元前477年に顧問となり、パルテノン神殿の建設にて総監督を務めたとされる。本尊のアテナ女神像を製作、また神殿装飾彫刻の制作を指揮した。ただし、このことは史実に反するとする見解も有力である。当時はアテナイ民主政の全盛期で、多くの官職同様に、神殿建築の建造監督官も1年任期で交代していた。こうした中で総監督として絶大な権限を持った者がいたか疑問であり、史料上でも当時の会計を記す碑文にフェイディアスの名は登場しない。

「神殿も女神の像も片蔭に フェイディアス に 端遊」

片蔭(カタカゲ)が7月の季語です。日盛りが過ぎ木蔭や家の蔭が出来てきますが、これを片蔭といいます。何を造ったのか半分闇の中のフェイディアスに掛けました。彼の死因についても諸説あり、アテナ女神像の材料を着服したという理由で投獄され、紀元前438年またはそれ以後アテネで死んだとも、オリンピアへ行きゼウス像を制作後十数年して同地で死んだとも伝えられておりはっきりしていません。

習字は、「神殿も」は直線的に、「女神の像も」は曲線的に、「片蔭に」は弱く小さめに、というつもりで書きました。


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夏の夕 45 アリストファネス

 朝、台風の影響で天候が不順だったので、隣町のランは休みにしました。で、家でバイクを漕ぎました。突然、風が吹いたり・雨が降ったりしてきます。

「世界史1200人」45 アリストファネス(前445〜前385)

アテナイを代表する喜劇作家であった。44の喜劇作品を書いたが、うち現在まで完全に伝わっているものは11篇にとどまる。アテナイの同時代の実在の人物、ソクラテスエウリピデスなどを取り上げて諷刺することが多かった。特にエウリピデスは何度か登場し、彼の悲劇でのセリフ「舌は誓ったが心は誓わない」は度々もじって利用している。また、女性蔑視が甚だしい為、女性の敵として殺され無いように、あれこれと逃げ回る人物に戯画化されている。ソクラテスは、直接の批判の対象というよりは、ソフィストの代表として扱われている。政治家の中ではデマゴーグ(大衆扇動者)のクレオン(政治家)を特に標的とし、思いの丈の限りを尽くして痛烈に諷刺したため、クレオンによって言い掛かりとしか思えない罪状(国家転覆罪)で以て告訴されている。ペロポネソス戦争に対しては一貫して批判的であり、「女の平和」のような直接に戦争に反対する内容の作品もある。

「夏の夕王の諷刺は命がけ アリストファネス に 端遊」

夏の夕が7月の季語です。夕方になると暑さもひいて、観劇にピッタリです。同時代人の諷刺は告訴も覚悟の上かな・・・と思いました。アリストパネスとアガトーン(悲劇詩人)がソクラテスと大杯を回し飲みしている時、ソクラテスが「悲劇作者は喜劇作者でもありうること」を問い、二人が答えに窮して寝たふりをして、そのまま本当に寝入ってしまった逸話もあります。

習字は、「夏の夕」はサラリと、「王の諷刺は」は強弱を付けてそれらしく、「命がけ」は強く、というつもりで書きました。


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夏の果て 44 ソフォクレス

 朝、今日は一人で海沿いをロングランして来ました。昨日、鶏肉をいっぱい食べたせいか、快調に走りました。

「世界史1200人」44 ソフォクレス(前497〜前406)

三大悲劇詩人の一人でアテネの政治家ともなる。神話上の登場人物・オイディプースが、知らずに実父を殺し、実母を妃にした三部作の悲劇などで有名である。ソポクレスは悲劇のコンテストで、50年近くのあいだ最も賞賛された作家であった。コンテスト参加30回のうち、1位の栄冠を手にしたのが18回、残りはすべて次点である。ソポクレスは数々の作劇上の新機軸を演劇にもたらした。彼が最初に試みたことは、三人目の演者の導入であり、この発明はギリシア演劇における物語の展開と登場人物同士のぶつかり合いの表現の可能性を拓く大きなきっかけとなった。劇作界に大きな影響を及ぼしていたアイスキュロスでさえもソポクレスの後に続き、晩年は自作に三人目の演者を登場させる構成になっていった。ソポクレスの死には数多くの、真偽不詳の尾ひれ羽ひれがつけられた。自作の長いセリフを息継ぎせずに朗誦しようとして絶命したという説がその最たるものである。

「三演者舞台は廻る夏の果て ソフォクレス に 端遊」

夏の果てが7月の季語です。夏の終わりで、観劇にピッタリです。三演者なら果てまで舞台を廻せるなと思いました。ソポクレスは晩年には耄碌したとして、後見人の必要を宣言をするよう息子たちから迫られますが、老詩人は法廷で、未発表の自作の一節をそらんじてみせて反駁したと言われています。

習字は、「三演者」は個性の違う三人の演者のように、「舞台は廻る」は廻っているように、「夏の果て」はサラリと、というつもりで書きました。


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