川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

牛蒡引く 611 筒井定次

お遍路・第3日目。73番出釈迦寺から65番三角寺まで周り、西条市に泊まる予定です。昨日は牛しゃぶのうどんまで出て、デザートのフルーツやアイスクリームも美味しく、完璧に太りそうです!

「日本史1200人」611 筒井定次(サダツグ;1562〜1615)

安土桃山から江戸時代の武将・大名、伊賀上野藩主。本家筋の筒井順慶の養嗣子となり、1578年に織田信長の14番目の息女を娶った。信長の死後は豊臣秀吉の家臣となり、1585年の国替えにより大和国から伊賀国上野に移封され20万石を与えられた。1600年の関ヶ原の戦いでは東軍に与して、戦後に家康から所領を安堵された。1603年、家康が征夷大将軍に任命され、定次は伊賀一国を支配する国持大名となった。しかし1608年、定次の重臣の中坊秀祐が、定次の悪政や鹿狩での倦怠などの不行状を訴え、定次は幕命により改易となった。そして、1615年、大坂冬の陣にて豊臣氏に内通したという理由により、嫡男・筒井順定と共に自害を命じられた。定次の不行状を訴えた中坊秀祐はその後、幕府に取り立てられ、奈良奉行を勤めた。

「改易を切腹を問い牛蒡引く 筒井定次 に 端遊」

牛蒡引くが10月の季語です。牛蒡は地下1mもの長い根を成長させます。定次は深い理由を知りたかったろうな・・・筒井氏を改易し、豊臣恩顧大名で家康の側近ともいえる藤堂高虎に伊賀を与えたことは、大坂方を刺激することなく徳川方勢力を上方方面に食い込ませる家康の戦略によるものでした。切腹までを意図したかは不明です。内通したとの理由はチャッチイです。

習字は、「改易を」は悲しく、「切腹を問い」は恨んで、「牛蒡引く」はむっつり、というつもりで書きました。


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