朝、海沿いを走って来ました。この頃、一人で楽しんでいるよりも、何かボランティア的なことをしなくちゃいけないかなとも思います。具体化しようとすると腰が引けてしまいます。
「世界史1200人」458 メッテルニヒ(1773〜1859)
オーストリア帝国・プロイセン王国の外交官、政治家。フランスの圧力緩和のため1810年にナポレオン1世と皇女マリー・ルイーズとの結婚の仲介役となったが、ナポレオンがモスクワ遠征などに失敗すると、反ナポレオン的な秩序の形成に尽力した。1814年のウィーン会議の議長として反革命的な旧来の国際秩序の創出を図り、その後も自由主義・ナショナリズムを抑圧した。しかし前近代的な国際秩序は、1820年代より中南米の独立運動などにより動揺し、1830年代より工業化が本格化して、新興のブルジョワジーが自由主義を掲げるようになった。1848年に起こったフランス二月革命は「諸国民の春」を生じさせ、オーストリアで三月革命が勃発すると宰相を辞任しイギリスに亡命した。
「秩序好きなンだ革命と侘助(ワビスケ) メッテルニヒ に 端遊」
侘助(ワビスケ)が1月の季語です。茶席の床の間になどに飾られる侘しい感じの花です。有能なメッテルニヒも時代に取り残されたのかな・・・メッテルニヒが保守主義者になったのは、妻の影響力があったためだといいます。彼は、家庭では子煩悩で常に子供たちの幸せに気を配る良き父親であったといいます。
習字は、「秩序好き」はそれなりに、「なンだ革命」は大胆に、「と侘助」は寂しく、というつもりで書きました。