川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

春の宵 260 一遍

 昨日の夕方は、嫁さんと浜で夕陽を見ながらお酒を飲みました。この島に居るんだなァ〜と感じました。今日の朝は一人で海沿いを走って来ました。シャワーを浴びてダンボールや本をゴミに出してから、体重を測ったら53.3kgと先週より0.1kg減っていました。

「日本史1200人」260 一遍(1239〜1289)

伊予国(愛媛県)に生まれ、10歳の時に天台宗で出家し、13歳で法然の孫弟子について浄土宗を学んだ。「南無阿弥陀仏」の念仏札を配りながら各地を転々としていると、ある僧から己の不信心を理由に念仏札の受け取りを拒否され大いに悩むが、熊野権現から、衆生済度のため「信不信をえらばず、浄不浄をきらはず、その札をくばるべし」との夢告を受けた。この時から一遍と称し、念仏札の文字に「決定往生六十万人」と追加した。さらに各地を行脚し、1279年に踊り念仏を始めた。踊り念仏は尊敬してやまない市聖・空也に倣ったものといい、これは時宗と呼ばれ農民や地方武士に熱狂的に受け入れられた。

「不浄者(モノ)踊れや踊れ春の宵 一遍 に 端遊」

春の宵が4月の季語です。春の宵は浮き立って明るく、何となく艶めいている感じです。一遍は寺院に一切依存せず、死に際しては、「一代聖教皆尽きて、南無阿弥陀仏に成り果てぬ」と延べ、自身の著作を燃やしてしまったといいます。札を受けとり、勧進帳(入信者が記名する帳面)に名を記した人は、250万人に達したといわれます。

習字は、「不浄者」はスッキリと、「踊れや踊れ」は踊るように、「春の宵」は穏やかに、というつもりで書きました。


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