川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

木の葉髪 366 織田信秀

昨日は西田俊英さんの絵を観に武蔵野美術大学に行きました。毎日、創造し表現して行くことの素晴らしさを改めて感じました。国分寺駅北口の近くに素敵な飲み屋さんがあったのも収穫でした。今日は雨が降っているので、ブログを書いてから走りに行こうと思っています。

「日本史1200人」366 織田信秀(1508〜1551)

織田信長の父、尾張国守護代・織田大和守の重臣で三奉行の一人。やがて主家をしのぎ、居城を那古野・古渡・末森へと移しながら、しだいに勢力を伸張させていった。今川義元と戦いさらに斎藤道三と戦って、両勢力の尾張進出の阻止を図った。1544年には斎藤氏に大敗を喫するが、やがて子信長に道三の娘濃姫を娶って和睦している。周辺勢力の完全打倒はできなかったが、信長の雄飛の基礎を築いたといえる。「大うつけ」と呼ばれ悪評の高い信長に那古野城を譲り、その後も一貫して自らの後継者に据え続けており、親子の間には信頼関係があったと思われる。

「宜しく!とうつけにタッチ木の葉髪 織田信秀 に 端遊」

木の葉髪が11月の季語です。はらはらと抜け落ちる髪の毛です。戦に明け暮れハラハラしどうしでした・・・信秀は伝統と権威を重んじ、伊勢外宮に銭700貫、禁裏築地修理料として4000貫を献上するなど中央権力へも積極的に接近しました。

習字は、「宜しく!」は明るく、「とうつけにタッチ」はそれなりに、「木の葉髪」はサラリと、というつもりで書きました。


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