川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

焼芋 367 織田信行

朝、善福寺川沿いを走ってきました。もう少し寒くなるかとウィンドヤッケを着ていきましたが、途中で脱ぎました。

「日本史1200人」367 織田信行(?〜1557)

織田信長の弟。父の信秀の生前から尾張国内に一定の統治権を有していた。信秀の葬儀において、兄の信長は仏前で抹香を投げつける不行跡を示したのに対し、弟の信行は「折目高なる肩衣・袴めし候て」礼儀に則った振舞いをしたといわれている。信秀の死後は末森城主となって信長と尾張の支配権を巡って争い、初期の信長の統治にとって大きな脅威となった。一時は信長に代わって当主を名乗ったが、稲生の戦いで敗北し勢威を失った。その後、信長が仮病を装うと、清洲城へ見舞いに行き、そのまま誘殺されてしまった。

「えっ兄者!礼儀正しく焼芋に 織田信行 に 端遊」

焼芋が11月の季語です。昔は落葉焚きの中で焼かれたりもしました。礼儀正しく見舞いに行ったのに・・・信行は百舌鳥を飼いならし、これを用いた珍しい鷹狩を好みました。獲物を逃してしまうことはなく、非常に高い腕前を誇っていました。なお、信行は有名ですが間違いで、信勝が正しいそうです。

習字は、「えっ兄者!」はビックリして、「礼儀正しく」はそれなりに、「焼芋に」は弱く、というつもりで書きました。


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