川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

半夏生(ハンゲショウ) 533 尚寧

朝、海岸沿いを走ってきました。嫁さんは今日から学期末テストです。

「日本史1200人」533 尚寧(ショウネイ;1564〜1620)

琉球王国第二尚氏王統の第7代国王、童名・思徳金、神号・日賀末按司添(テダガスエアンジオソイ)。前国王の尚永王には男子がなかったため、小禄御殿四世の尚寧王があとを継いだ。浦添按司家から見れば大出世で、1597年に建てられた碑には「浦添より首里に照り上がり」と、太陽が昇る様に例えて誇らしげに表現している。しかし、1609年に薩摩藩の島津氏に侵攻され降伏した。以後、琉球は日本(薩摩藩)に属し、日本の意向で明にも属している形をとらされることになる。尚寧王薩摩藩によって江戸に連行され、征夷大将軍徳川秀忠に謁見した。この旅は、最大の理解者・弟の具志頭王子の病没に見舞われながら、2年半の苦しい旅であった。1613年には薩摩藩奄美群島を割譲させられた。

「照り上がりお江戸に上がり半夏生(ハンゲショウ) 尚寧 に 端遊」

半夏生(ハンゲショウ)が7月の季語です。夏至から十一日目をいいます。“夏(≒繁茂・繁栄)は半分だけ”と解釈しました・・・尚寧が薩摩に連行された後、愛する夫の帰りを待ちわびる王妃・阿応理屋恵(アオリヤエ)は、その心情を「北風が吹けば、きっと王様が帰ってくると待ち望んでいる」と謡いました。

習字は、「照り上がり」は嬉しく、「お江戸に上がり」は哀しく、「半夏生」は寂しく、というつもりで書きました。


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