川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

水澄(ミズスマシ) 531 中川秀成

朝、海岸沿いを走ってきました。今日はチョッと湿度が低いせいか少し快適に走れました。嫁さんの学校生活は波瀾万丈のようです。

「日本史1200人」531 中川秀成(ヒデナリ;1570〜1612)

安土桃山から江戸時代の大名、豊後国岡藩の初代藩主。1583年父・中川清秀賤ヶ岳の戦いで戦死した後、家督は兄の秀政が継いだが、1592年に文禄の役朝鮮半島で鷹狩り中に敵に包囲されて殺される失態をし、秀成は兄の遺領の半分の相続を許された。そして1594年に秀吉から豊後岡に7万4千石の所領を与えられ移封された。1600年の関ヶ原の戦いでは、家臣を西軍に派遣したが、関ヶ原の本戦が終結した後に東軍に与した。西軍の臼杵城主太田一吉を攻撃し、家臣を討ち取られたものの、その功績によって戦後徳川家康から所領を安堵された。1612年に死去し、跡を次男・久盛が継いだ。

「失態をそっと挽回水澄(ミズスマシ) 中川秀成 に 端遊」

水澄(ミズスマシ)が6月の季語です。水面を旋回する昆虫です。複眼があって水中と空中を同時に見ることができます。澄し顔して西軍を見たり東軍を見たりの秀成です・・・朝鮮の役の時に牡丹を持ち帰り、岡城や数か所の寺院に植えられました。現在も、1644年に建立された英雄寺の山門鐘付き堂右にあり、牡丹の咲く毎年4月20日に牡丹祭りと法要が開催されています。

習字は、「失態を」は強く、「そっと挽回」は弱く、「水澄」は大胆に、というつもりで書きました。


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