川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

冬麗 631 狩野永徳

朝、善福寺川沿いを走ってきました。ラン・口笛・川柳・習字の日課が合っているのか、東京にいるのに外出はほとんどしません。嫁さんは何かしら新しいものが好きです。

631 狩野永徳(エイトク;1543〜1590)

安土桃山時代の絵師。狩野派の棟梁として織田信長豊臣秀吉という天下人に仕え安土城聚楽第大坂城などの障壁画を制作した。永徳が力を振るったこれらの代表的な事績は建物とともに滅びてしまったものが多く、真筆とされる現存作品は比較的少ない。永徳といえば『唐獅子図』や『檜図』のような雄大なスケールの豪快な作品(大画)がよく知られるが、代表作の1つである上杉本『洛中洛外図』は、彼が細密描写に秀でていたことも示している。狩野派(室町時代から江戸時代まで日本画壇の中心にあった画派)の代表的な画人であるばかりなく、日本美術史上においても著名な画人の1人である。東福寺法堂の天井画の龍図を制作中に病気になり、ほどなく死去した。

「冬麗に唐獅子グワシちょとニタリ 狩野永徳 に 端遊」

冬麗(トウレイ)が11月の季語です。初冬の光に満ちた麗らかな日です。『唐獅子図』の背景はそんな感じです。迫力の唐獅子の顔も満足げです(小さな写真で見たのですが)・・・『唐獅子図』屏風は、1582年に秀吉が本能寺の変を聞きつけ畿内に戻るため、高松城で急遽結んだ講和の際、その証として毛利輝元に贈った陣屋屏風との伝承があります。

習字は、「冬麗に」はスッキリと、「唐獅子グワシ」は大胆に、「ちょとニタリ」はサラリと、というつもりで書きました。


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