川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

御火焚 634 海北友松

朝、善福寺川沿いを走ってきました。嫁さんは小学校時代の友だち二人と会いに行きました。

634 海北友松(ユウショウ;1533〜1615)

安土桃山から江戸時代の絵師、海北派の始祖。近江の湖北に浅井氏家臣・海北綱親の五男として生まれた。2歳で父が戦死したのを切っ掛けに禅門に入り、京の東福寺で喝食として修行し、この時に狩野派を学んだとされる。1573年に浅井氏が滅亡した後に還俗し、海北家の再興をめざしたが、豊臣秀吉に画才を認められたことから武門を去り、晩年は画業に専念した。その画は宋元画、特に梁楷の影響を受け鋭く力のこもった描線と省略の多い画法(減筆法)によって独自の画境を開いた。作品は大画面の水墨画が多いが、金碧濃彩の屏風絵もある。

「減筆の御火焚民の神の声 海北友松 に 端遊」

御火焚(オホタキ)が11月の季語です。京都の神社の祭事です。薪に火が放たれ、神酒がまかれ、爆竹を鳴らし子らが騒ぎ回ります。友松が減筆法で描いたら、神の声まで聞こえるかな・・・代表作は建仁寺本坊大方丈障壁画 重要文化財 京都国立博物館寄託全50面です。檀那の間「山水図」と礼の間「雲龍図」を見て(写真ですが)ビックリしました。

習字は、「減筆の」はサラリと、「御火焚民の」は大胆に、「神の声」は柔らかく、というつもりで書きました。


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