川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

炎天下 33 ソクラテス

 朝、近くの友とジョグをし、途中からいつものロングランをして来ました。朝が涼しいので友も喜んでいました。嫁さんは幼稚園に読み聞かせに行きました。

「世界史1200人」33 ソクラテス(前469〜前399)

ソクラテスは、ペロポネソス戦争に従軍したほかはアテネ市内で過ごした。戦争後、アテネでは産業が衰え、民主政治が衆愚政治に陥りやすくなっていた。そんなアテネにはソフィストと呼ばれる弁論の職業教師がいて、市民に訴訟などの論争に勝つ方法を教えていた。折しもソクラテスデルフォイアポロン神殿で「ソクラテスより賢者はなし」という神託を聞き、その神意を確かめるために、ソフィストたちを訪ね歩いた。その結果、自分の優れているところは、無知を誰よりも自覚していることだと気づいた。ソクラテスはこれを「無知の知」と呼び、人々に無知を自覚させる「対話」をして回った。そして、ソフィストたちの相対的な「詭弁」を批判し、普遍的な真理が存在すること、より良く生きることは善を実行すること「徳」であると説いた。しかし、ソクラテスが買ったのは反感であった。そして「青年を害する」罪で告発された。死刑判決を受けたソクラテスは「悪法といえども国家の法に従うべし」といい、潔く毒杯をあおった。

無知の知を青年に問う炎天下 ソクラテス に 端遊」

炎天下が7月の季語です。真夏の燃え上がる太陽の天の下であり、「対話」をして回った時の反応を掛けました。ソクラテスを口汚く罵り、粗暴な振る舞いのため、悪妻として名高いクサンティッペは実は平凡な女性であったとの見方もあります。アテネ市民にも奇異に映ったソクラテスの言動に、ついて行けなかったのかもしれません。

習字は、「無知の知を」と「青年に問う」は前半弱く・後半強く、「炎天下」は激しく、というつもりで書きました。


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