川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

花篝 484 佐久間盛政

朝、善福寺川沿いを走ってきました。嫁さんは同級生とのライン交流に右往左往しています。

「日本史1200人」484 佐久間盛政(モリマサ;1554〜1583)

安土桃山時代の武将・大名。母は柴田勝家の姉で、織田信長重臣佐久間信盛の甥に当たる。豪勇をもって「鬼玄蕃」などと呼ばれた。信長の命によって主に北陸征討戦に軍功をあげ、加賀半国の守護職を与えられた。途中、信長による叔父・信盛の追放のため閉居したが、改めて柴田勝家に仕え、加賀・尾山城主となった。本能寺の変で信長が横死し、勝家と豊臣秀吉の対立がはっきりすると勝家方についた。賤ケ岳の戦において、勝家がすぐ兵を引くよう命じたが盛政はそれに従わず、秀吉本隊と戦い生け捕られた。秀吉は「以後、味方をすれば命を助けよう」といったが拒絶し、勝家が自刃したあと、京中を引きまわされ処刑された。

「花篝鬼の涙を照らすなよ 佐久間盛政 に 端遊」

花篝(ハナカガリ)が4月の季語です。夜桜見物のための篝火です。盛政は4月に生け捕りにされています。鬼の看板を下ろせずに処刑されたんだろうな・・・秀吉は盛政の名誉を重んじ、切腹を命じましたが、「願わくば、車に乗せ、縄目を受けている様を上下の者に見物させ、一条の辻より下京へ引き回されればありがたい」と述べたとされます。

習字は、「花篝」はサラリと、「鬼の涙を」は悔しく、「照らすなよ」は恥ずかしく、というつもりで書きました。


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