川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

草餅 483 別所長治

土曜日・日曜日は横笛の練習と「アーネスト・サトウの日記抄2」の読書で過ごしました。今日の朝は雨が降っていたのでランを休みました。

「日本史1200人」483 別所長治(ナガハル;1558〜1580)

戦国大名。12歳の時、父・安治が没すると叔父・吉親を後見役に家督を継いだ。別所氏は織田信長に従っており、家督を相続した長治は17歳で信長に謁見し、その後たびたび挨拶している。しかし、1578年に織田氏から離反し、三木城に立て籠もり毛利氏に通じた。これは秀吉や信長に不信を抱いていた叔父の勧めによるものといわれる。秀吉はすぐに三木城攻めを行い、支城は次々と失われていった。途中、毛利氏や本願寺からの援軍もあったが「三木の干殺し(ヒゴロシ)」と呼ばれる兵糧攻めが本格化し、籠城開始から2年後に長治・友之(弟)・吉親の切腹と引き換えに城兵を助命するとの条件で開城を決めた。秀吉からの贈物で最後の宴を催した後、長治は妻子や弟らとともに自害した。

「干殺しの別れの宴は草餅 別所長治 に 端遊」

草餅が4月の季語です。蓬と餅米を一緒に搗いたものです。せめて草餅をいっぱい食べたかな・・・三木城跡の上の丸公園には、辞世「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば 」の歌碑と、近年寄贈された騎馬武者石像が立てられています。

習字は、「干殺しの」は強く、「別れの宴」は悲しく、「は草餅」は静かに、というつもりで書きました。


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