川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

飛び梅 213 那須与一

 昨晩、「明日は荒れます!」とわざわざ町内放送がありました。台風以外で警報が出るのは珍しいことです。で、朝はバイクを漕ぎました。外は・・・まァ〜荒れています。

「日本史1200人」213 那須与一(1169〜?)

平安末期の武将。弓の名手として有名であるが謎が多い。1185年の屋島の戦いでは、平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とすなど功績を挙げ、頼朝より5カ国に荘園を賜った。また、為隆を除く9人の兄達が、皆平氏に味方し、為隆も後に罪を得たため、与一が十一男ながら那須氏の家督を継ぐ事となった。与一は信濃など各地に逃亡していた兄達を赦免し、領土を分け与え、下野国における那須氏発展の基礎を築いたとされる。

飛び梅よ扇の的は揺れるぞよ 那須与一 に 端遊」

飛び梅が2月の季語です。飛んで、菅原道真の配所筑紫の庭に生え匂った梅です。「距離では負けるが、的は揺れるぞ」と与一は言ったかな・・・墓所は、京都市の即成院であるが、那須家では大田原市の玄性寺を本墓としている。また、神戸市の碧雲寺宗照院にも与一の墓とされるものがあり、お参りすると年老いても下の世話にならないとする言い伝えがある。

習字は、「飛び梅よ」はスッキリと、「扇の的は」小さく、「揺れるぞよ」はクネクネと、というつもりで書きました。


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