川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

目借り時 488 吉川元春

朝、善福寺川沿いを走ってきました。昨日の日曜美術館富岡鉄斎を見て、ラン・川柳・習字三昧ができたらな、と思いました。

「日本史1200人」488 吉川元春(モトハル;1530〜1586)

毛利元就の次男。1547年、母方の従兄・吉川興経の養子になったが、後に父・元就が強引に興経を隠居させ、元春が家督を継いだ。弟の小早川隆景と共に毛利宗家を支え“毛利両川”といわれた。出雲国に出征して尼子氏を降伏させた功績で名高く、1581年の羽柴秀吉による毛利攻めも、わずかな兵で撃退している。しかしその翌年、輝元が秀吉と和睦した際、それが本能寺の変のための撤退だと後で知って激怒し、すぐに追撃すべきと主張したが容れられなかった。これをきっかけに家督を嫡男・元長に譲って隠居した。毛利氏は秀吉の天下平定には協力的だったが、元春は四国攻めには出陣せず、最後まで秀吉に抵抗をしめした。76戦して64勝12分けという、無敗を誇った名将であった。

「無敗だぞ目借り時でも猿はちょい 吉川元春 に 端遊」

目借り時が4月の季語です。春なので、目を借りられたように眠い状態です。うつらうつらしていても元春は強いのかな・・・出雲の尼子氏攻めのときは、その陣中で「太平記」44巻を書写しました。これは古典文学上貴重な資料とされ、重要文化財として山口県岩国市の吉川資料館に保管されています。

習字は、「無敗だぞ」は大胆に、「目借り時でも」はぼんやりと、「猿はちょい」はサラリと、というつもりで書きました。


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