川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

雹 292 護良親王

 朝、一人で海沿いを走って来ました。帰って、今日もいろいろな物を洗濯したら、午後から天気は下り坂です。

「日本史1200人」292 護良親王(1308〜1335)

後醍醐天皇の第1皇子。延暦寺の僧であったが、元弘の変が起きると俗人に戻り倒幕に協力した。後醍醐天皇隠岐に配流されている間、楠木正成らと反幕府勢力を結集し倒幕に導いた。建武の新政が始まると、足利尊氏を警戒し1334年夏に令旨を発して尊氏討伐の軍を起こした。尊氏は親王の令旨を証拠として後醍醐天皇に謁見したが、「これは親王の独断でやったことで、朕には預かり知らぬことである」と発言し、天皇親王を捕らえて尊氏に引き渡した。親王は鎌倉に幽閉され、後に鎌倉で北条時行が反乱を起こすと、結託するのを恐れられ、足利直義の命により牢内で殺害された。

「功と孝無視して父(チャン)は雹降らす 護良親王 に 端遊」

雹(ヒョウ)が6月の季語です。雷雨に混じって降る氷の塊です。もちろん父(チャン)は後醍醐天皇です・・・現在の横浜市戸塚区柏尾町には、殺害された親王の御首を、側女が密かに持ち出し洗い清めたとされる、護良親王の首洗い井戸があり、近隣には、その御首を地下に葬ったと伝えられる王子神社があります。

習字は、「功と孝」はスッキリと、「無視してチャンは」は悔しいように、「雹降らす」は雹のように、というつもりで書きました。


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