川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

夏の果 307 日野資朝

 昨日、嫁さんは小学校以来の友とゆっくりお喋りし、本当に楽しそうに嬉しそうに帰って来ました。今日の朝は善福寺川沿いを走って来ました。後半、僕と同じくらいの年代の方に付いて走ったら、すごく良いペースで走れました。

「日本史1200人」307 日野資朝(1290〜1332)

公家、後醍醐天皇の側近。自身の才学で上級貴族である公卿にまで昇った。1324年、六波羅探題に倒幕計画を疑われ、有罪とも言えないが無罪とも言えないとして佐渡島流罪となった(正中の変)。その後1331年、天皇老臣の密告で討幕計画が露見した元弘の乱が起こると、翌年に佐渡で処刑された。処刑にあたり、資朝は落ち着きはらい辞世の頌(ジュ)を詠んだ。「この世界に本より実体はなく 人の肉体と精神もまたその本質は空である 今、まさに、我が首は白刃を揺らそうとしている しかしそれもまた、夏の風を斬るようなものだ」

「出世して配流でチョンと夏の果 日野資朝 に 端遊」

夏の果が7月の季語です。夏の終りです。頌に「夏の風を・・・」とあったので使いました・・・資朝は身分の上下を越えて才人を集め、無礼講という茶会を主催しました。これは茶道の前身である闘茶や、俳句・俳諧の前身である連歌会の源流ともされ、文化史上で大きな役割を果たしました。

習字は、「出世して」は強く、「配流でチョンと」は軽く、「夏の果」は儚く、というつもりで書きました。


f:id:tanyuu4792:20220705094006j:image