川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

鷲 372 織田信忠

朝、善福寺川沿いを走ってきました。嫁さんは昨日は絵画教室で、今日からは二泊三日でお姉さん宅に行きます。僕は留守番です。

「日本史1200人」372 織田信忠(1557〜1582)

信長の嫡男、実母は不明。信長の正室濃姫が信忠を養子にしたともいう。幼名は奇妙丸、元服して勘九郎信重を名乗り、後に信忠と改める。長篠の戦い岩村城の戦いなどに勝利して、信長から尾張・美濃の大名織田氏家督を譲られる。さらに武田氏を滅亡させ、信長は「天下の儀も御与奪」と天下人の地位も信忠に継承させることを内外に宣言した。明智光秀が信長の宿所である本能寺を強襲した事を知ると救援に向かうが、信長自害の知らせを受け、光秀を迎え撃つべく二条新御所に移動し、誠仁親王を脱出させ、手回りのわずかな軍兵とともに篭城した。しかし、明智軍が攻め寄せると、衆寡敵せずに自刃した。

「生き急ぎ鷲になったか奇妙丸 織田信忠 に 端遊」

鷲が11月の季語です。鳥の王と言われます。天下人にと言われた信忠です。鷲の平均寿命30年にも満たない生涯でした・・・「人間五十年」で有名な「敦盛」など、幸若舞を好んだ信長に対して、信忠は能狂言を異常なほどに好みました。伊勢松島で群集を前に能を演じたとの記録もあり、その腕前は「手前見事」と評されるほどでした。

習字は、「生き急ぎ」はサラリと、「鷲になったの?」は幼く、「奇妙丸」は大胆に、というつもりで書きました。


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