川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

木枯し 370 濃姫

土曜日・日曜日とプログラミングやディープラーニングの本を読んで過ごしました。今日の朝は、いつものように善福寺川沿いを走ってきました。

「日本史1200人」370 濃姫(1535〜1612)

織田信長正室斎藤道三の娘、名は胡蝶あるいは帰蝶と伝わる。道三に大敗を喫した信秀が、子の信長に濃姫を娶って和睦している。信長の御台所である道三の娘が、若君に恵まれなかったので、側室が生んだ奇妙丸(信忠)を養子とし嫡男としたという記述はあるが、これ以外に濃姫の記載はほとんどなく、没年も不明であり、菩提寺も戒名も特定されていない。母の小見の方は、明智光継の娘とされるので、明智光秀の叔母にあたることになり、濃姫と信長を殺した光秀は従兄妹の関係にあったはずだが、光秀の出自自体に不明な点が多く、諸説があって正確な続柄はよく分からない。

「気がつけば木枯しの中胡蝶舞う 濃姫 に 端遊」

木枯しが11月の季語です。木々の葉を散らす初冬の風です。道三・信長・光秀そして養子を木枯しに見立てました。胡蝶は蝶の異称で、蝶は4月の冬の蝶は12月の季語です・・・「胡蝶の夢」は、中国・戦国時代の思想家・荘子による「夢の中の自分が現実か、現実のほうが夢なのか」といった説話です。荘子の代表作としてよく知られています。

習字は、「気がつけば」は弱く、「木枯しのなか」は寂しく、「胡蝶舞う」は強く大胆に、というつもりで書きました。


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