川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

冬ぬくし 373 織田信雄

昨夜は8時半に寝てしまいました。そして夜中に久しぶりに太腿も痙攣し、ちょっと大変でした。朝はいつものように善福寺川沿いを走ってきました。

「日本史1200人」373 織田信雄(1558〜1630)

信長の次男、母は生駒氏。幼名は茶筅、通称三介、名ははじめ具豊、のち信雄と改めた。信長の北畠家攻略策として、北畠具房の養嗣子となり雪姫を娶った。以後、信長に縁を切ると怒られたこともありながら、主な戦いに参陣し北畠家も滅ぼした。本能寺の変の時には伊勢にいたが、光秀敗死の報を聞き兵をもどした。そのころ北畠から織田に復姓している。豊臣秀吉と組んで3男・信孝を岐阜城に破ったが、やがて秀吉と対立して徳川家康と結び、勝手に秀吉と講和を結び、さらに秀吉の怒りを買い配流され出家して常真と号した。のちに家康のとりなしで秀吉の御咄衆となったが、一貫して家康サイドで動いた。京都に隠居し、茶や鷹狩りなど悠々自適の日々を送った。

「七転はただの転びじゃ冬ぬくし 織田信雄 に 端遊」

冬ぬくしが11月の季語です。冬の割には暖かい日のことです。晩年は期待を裏切り?暖かでした。「ただの転びじゃ」は「修行じゃないぞ・夢まぼろしか・胡蝶の夢か」も布団の中で考えましたが・・・数多くいた信長の息子の中で、江戸時代に大名として存続したのは信雄の系統だけです。また能の名手で、能役者も信雄の発言が貴重な指針になっていたとされます。

習字は、「七転は」は明るく、「ただの転びじゃ」は剽軽に、「冬ぬくし」は温かく、というつもりで書きました。


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