川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

出稼 371 初

朝、善福寺川沿いを走ってきました。今年一番の寒さで外は5℃、手袋をしていても指が痺れる感じでした。

「日本史1200人」371 初(1570〜1633)

浅井長政お市の方の次女、京極高次正室。高次の母(京極マリア)は浅井長政の姉であり、高次と初は従兄妹の間柄であった。高次は関ヶ原の戦いに先立って、近江大津城で西軍の軍勢を足止めした功により、若狭一国を与えられて小浜藩主となった。高次に先立たれた後、初は出家して常高院と名乗る。大坂の陣の際には、姉妹の嫁いだ豊臣・徳川両家の関係を改善すべく、豊臣方の使者として仲介に奔走した。夫を支え、衰退した京極家を大名家として再興させ、三姉妹の中では一番多く落城(小谷城、北ノ庄城、大津城、大坂城)を経験している。

「尼だけど茶々江のため出稼ぎじゃ 初 に 端遊」

出稼ぎが11月の季語です。大御所(家康・江の義父)に何かとお願いに行ったかな・・・京極家は出雲国隠岐国飛騨国などの守護を兼ねた名門で、浅井家の主筋でもありました。初は三姉妹の中で最も格上の武家に嫁いだと言えますが、当時の京極家は下克上により衰退し、浅井家や羽柴家の庇護を受けていました。

習字は、「尼だけど」はサラリと、「茶々江のため」は可愛く、「出稼ぎじゃ」は楽しく、というつもりで書きました。


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