川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

すき焼 383 九鬼嘉隆

朝、善福寺川沿いを走ってきました。僕の足温器「ひとり炬燵」が届いたので使ってみました。goo!です。

「日本史1200人」383 九鬼嘉隆(1542〜1600)

武将。志摩の国衆として身を起こし、織田信長のお抱え水軍として、伊勢長島の一向一揆攻めで武功を上げ、常に負かされていた毛利水軍を鉄張り軍艦で撃破し、本願寺海上補給ルートを遮断した。豊臣秀吉に出仕後も、九州平定や小田原征伐などに参陣した。1585年に鳥羽城の築城に着手した。朝鮮出兵文禄の役では水軍の総大将として戦功を挙げた。1597年に家督を子の九鬼守隆に譲って隠居したが、後に関ヶ原の戦いが起こると、家名を存続させるため、嘉隆は西軍に、守隆は東軍に与した。戦後家康に許されたが、答志島で自害した。江戸時代には軍記物などで海賊大名の異称をとった。

「鉄張りで毛利を撃破すき焼だ 九鬼嘉隆 に 端遊」

すき焼が11月の季語です。海賊どもが分捕品を横に、鍋を囲んでガハハと言いながら・・・守隆は徳川家康に父の助命を嘆願し了承されました。しかし守隆の急使が伝える前に、九鬼家の行く末を案じた家臣の具申を受け、答志島の洞仙庵で自害しました。

習字は、「鉄張りで」は強く、「毛利を撃破」はそれなりに、「すき焼だ!」は楽しく、というつもりで書きました。


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