川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

空っ風 384 佐々成政

昨日は、大腸カメラ検査に疲れて、ブログを休みました。今日はCT検査をしましたが、スムーズに終わりました。

「日本史1200人」384 佐々成政(1536〜1588)

武将・大名、佐々成宗の第5子。兄弟が相次いで亡くなり、25歳で家督を継ぎ比良城主となった。早くから織田信長に仕え戦功をあげ黒母衣衆筆頭となった。さらに朝倉義景攻めの先陣を務め、長篠合戦では鉄砲隊を指揮するなどし越中一国を支配した。柴田勝家の与力であったため本能寺の変後は反豊臣秀吉陣営にくみした。賤ケ岳の戦では直接参戦しなかったこともあり、秀吉より越中一国を安堵された。しかしまもなく織田信雄徳川家康に接近し、小牧・長久手の戦に際しては、家康に秀吉との再戦を促すため、厳寒の立山連峰・さらさら越で浜松に赴いたことで有名になった。その後再度、秀吉に降伏し臣従を誓い、九州征伐で功を上げ肥後一国を与えられた。しかし検地を急ぐあまり国人一揆にあい、失政して切腹させられた。

「さらさらは草臥儲(クタビレモウケ)空っ風 佐々成政 に 端遊」

空っ風が12月の季語です。冬に太平洋側に吹く乾燥した冷たい風です。家康に断られて、空っ風に吹かれて帰ったかな・・・さらさら峠は2348mもあり恐ろしい程です。成政は切腹の時、短刀を横一文字に引いて臓腑をつかみ出し、天井に投げつけたといわれます。

習字は、「サラさらは」は大胆にそれなりに、「草臥儲」は疲れたように、「空っ風」はスッキリと、というつもりで書きました。


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