川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

冬旱(ヒデリ) 382 平手政秀

朝、善福寺川沿いを走ってきました。今日は皇居に紅葉を見に行くことにしました。

「日本史1200人」382 平手政秀(1492〜1553)

武将。織田信秀重臣として主に外交面で活躍し、茶道や和歌などに通じた文化人でもあった。「大うつけ」の信長の後見役として初陣を滞りなく済ませ、美濃の斎藤道三との和睦を成立させ、信長と濃姫の婚約を取り纏めた。しかし、信秀が死去して織田家中が不穏となる中で自刃した。信長と次第に不和になり、信長の実直でない様を恨んで自刃したとされている。不和の原因は、信長が政秀の長男・五郎右衛門の持っている馬を所望したとき、五郎右衛門は「自分は馬を必要とする武士だから、お許しください」と言って拒否したのを、信長が逆恨みしたためだとされる。

パワハラのうつけの後見冬旱(ヒデリ) 平手政秀 に 端遊」

冬旱(ヒデリ)が11月の季語です。寒い上に水不足です。「パワハラ」と口元まで出たかな・・・政秀の死後も信長の行状は改まりませんでしたが、信長は政秀の死後に春日井郡小木村に政秀寺を建立し、菩提を弔いました。

習字は、「パワハラの」は強く、「うつけの後見」は情けなく、「冬旱」は寂しく、というつもりで書きました。


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