川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

ボーナス 385 蒲生氏郷

先週の金曜日・土曜日で大腸カメラとCTの検査が済んでホッとしました。後はゆっくり過ごそうと思います。朝はいつものように善福寺川沿いを走ってきました。

「日本史1200人」385 蒲生氏郷(1556〜1595)

武将・大名、蒲生賢秀の3男、幼名・鶴千代、キリシタン大名・洗礼名レオン。織田信長は人質である鶴千代を「蒲生が子息目付常ならず、只者にては有るべからず。我婿にせん」と言った。そして、鶴千代は14歳で初陣を飾り、信長の娘である冬姫を娶り、以後各地で武功を上げた。本能寺の変では明智光秀に対抗姿勢を示し、清須会議以後は羽柴秀吉につき、各地で功績を挙げ重用された。一連の功により、1590年に大領の陸奥国会津に移封された。これは奥州の伊達政宗を抑えるための配置であるが、最終的には92万石となり黒川城を改築して若松城と名を改め、会津藩の基盤を築いた。

「ボーナスに姫と若松目で鯛ぞ 蒲生氏郷 に 端遊」

ボーナスが12月の季語です。「目付常ならず」なので目で鯛も捕ったのではと、ダジャレました・・・氏郷は千利休の弟子であり、利休七哲に数えられる一流の茶人でもありました。また、氏郷は農業より商業を重視し、楽市・楽座の導入、手工業の奨励等により、江戸時代の会津藩の発展の礎を築きました。

習字は、「ボーナスに」はサラリと、「姫と若松」は楽しく、「目で鯛ぞ!」は嬉しく、というつもりで書きました。


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