朝、善福寺川沿いを走ってきました。嫁さんが英語しか話せない婿と二人だけで会うには、どうしたら良いか考えていたのですが、彼にも“英語→日本語”の翻訳アプリを使ってもらえばイイんだ!と思いつき、心軽く快適に走ることができました。
「日本史1200人」386 荒木村重(1535〜1586)
武将・大名。初めは池田氏の娘を娶り一族衆となるが、三好氏に寝返り、混乱に乗じて池田氏を掌握した。さらに織田信長からその性格を気に入られて三好氏から織田家に移り、各地を転戦し武功を挙げた。しかし1578年に村重は突如、信長に対して反旗を翻し有岡城に籠もった。以後1年の間徹底抗戦したが、側近が寝返り、兵糧が尽き始め、毛利氏の援軍も現れず窮地となった。そして村重は突如単身で城を脱出し、嫡男・村次の居城である尼崎城へ移ってしまった。信長は降伏を提案したが、村重が拒否したため、人質の処刑を命じた。村重は最後は毛利氏のもとに亡命し、尾道に隠遁したとされる。さらに、信長が本能寺の変で横死した後、村重は尾道から堺に移り、1583年には道薫と名乗って茶会に出席している。
「は!茶会に?芸術的ぞ頬被(ホッカムリ) 荒木村重 に 端遊」
頬被が12月の季語です。防寒のため、頭から頬を手ぬぐいでスッポリと被うことです。普通はホオカムリですが、句ではホッカムリとしました・・・有岡城の女房衆122人は鉄砲や長刀で殺され、京都に護送された一族36人は市中を引き回され、六条河原で斬首されました。その後も荒木一族は発見次第皆殺しされ、かくまった高野山の僧数百人も捕らえて殺害されています。
習字は、「は!茶会に?」は驚いて、「芸術的ぞ」は皮肉たっぷりに、「頬被」はすまして、というつもりで書きました。