川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

いぬふぐり 445 山本勘助

朝、隣町に行き二人でいつものコースを走り、楽しくおしゃべりしてきました。隣町に行ったついでに、確定申告も済ましてきました。それから素敵な友からメールが有り、東京で会うことにしました。

「日本史1200人」445 山本勘助(?〜1561)

戦国武将。1561年、謙信は1万3千の兵を率いて川中島に出陣し、信玄も2万の兵を率いて海津城に入った。勘助は別働隊を夜明けと共に攻めさせ、驚いた上杉勢が山を下りたところを本隊が挟撃する作戦を献策した。啄木鳥が木を叩き、驚いた虫が飛び出てきたところ喰らう「啄木鳥戦法」と名づけられた。しかし、上杉勢は暑さを逃れるため、夜中に山を下りたため、偶然にも両者は川中島で向かい合った。謙信は車懸りの陣で死に者狂いの猛攻をかけ、信玄は鶴翼の陣をしくが押しまくられ、武将が相次いで討ち死にし、その中に勘助がいた。勘助は己の献策の失敗に死を決意して敵中に突入し、奮戦して13騎を倒すが遂に討ち取られた。

「啄木鳥の汚名晴らすぞ!いぬふぐり 山本勘助 に 端遊」

いぬふぐりが2月の季語です。瑠璃色の小さな花です。花言葉は「信頼・忠実」です。学名がイエスに献身的に仕えた聖女ベロニカと同じ綴りであることが由来ですが、ここは信玄に仕えた勘助に掛けました・・・勘助の生涯は全て「甲陽軍鑑」とこれに影響を受けた江戸時代の作者による創作であると考えられています。当て推量なことを「山勘」「ヤマカン」と言いますが、一説には山本勘助の名前が由来とされています(大言海、辞海)。

習字は、「啄木鳥の」は弱く、「汚名晴らすぞ」はそれなりに、「いぬふぐり」はサラリと、というつもりで書きました。


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