川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

君子蘭 438 千葉胤富

土曜日はリコーダーを吹き、日曜日はゲームプログラミングを調べていました。今日の朝はいつものように、海沿いを走ってきました。太陽に嫁さんの合格を祈願してきました。

「日本史1200人」438 千葉胤富(タネトミ;1527〜1579)

下総千葉氏の第27代当主、戦国大名、千葉昌胤の次男。初めは東総領主・千葉六党東氏一族の海上氏を継いだが、1557年に弟の親胤が家臣の手により殺害されたため、宗家の家督を継いだ。家督を継いでからは、室町幕府の奉公衆にならい、千葉一族や重臣などからなる森山衆を新設したといわれる。胤富は後北条氏との関係を深めることで上杉謙信・結城氏・里見氏などの侵攻を撃退し、武田信玄・謙信・義氏・佐竹・里見等と合戦して勝利を収め千葉宗家の勢力を保った。特に外交手腕に秀でていた。

「合戦はお仲間づくり君子蘭 千葉胤富 に 端遊」

君子蘭が2月の季語です。剣状の逞しい葉の間から橙色の花を咲かせます。花言葉「高貴・誠実・情け深い」が仲間づくりや外交には大切かと・・・1561年、胤富は鶴岡八幡宮で行われた謙信の関東管領就任式に参列し、小山高朝と諸将の首位の座を争い、謙信の仲裁によって首座となりました。

習字は、「合戦は」はサラリと、「お仲間づくり」は明るく、「君子らん」は優しく、というつもりで書きました。


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