川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

迎春花 446 上杉謙信

朝、海沿いを走ってきました。明日が嫁さんの合格発表なので、念入りに合格を祈ってきました。太陽がしっかり顔を出してくれました。

「日本史1200人」446 上杉謙信(1530〜1578)

戦国武将、関東管領、幼名・虎千代、還俗後・景虎、出家後・謙信。父の死後、兄の晴景が守護代を継いだが病弱のため、虎千代が還俗して家督を継いだ。1552年、北条氏康に攻められた関東管領上杉憲政を助け、北条氏との対立が始まった。武田信玄とは川中島で5回戦った。景虎は朝廷と室町幕府に忠実であるという功績により、関東管領職と上杉の姓を受け継いだ。1573年、信玄の訃報を聞くと号泣して「惜しい英雄を亡くした」と嘆いた。1577年、手取川の戦いで織田軍を撃破し、翌年再び織田軍と相見えようとした矢先に脳溢血で急逝した。辞世は「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒」ひとり縁側で梅干しを肴に、手酌で飲むのが好きだったという。

「来世はと一盃の酒迎春花 上杉謙信 に 端遊」

迎春花(ゲイシュンカ)が2月の季語です。黄梅のことです。世が世なら、いろんなことをしたかったろうな・・・武田信玄今川氏真によって塩止めにあった時は、甲斐に塩を送り助けたといわれ「敵に塩を送る」という諺はここから生まれました。また、日頃の食事は質素にしていましたが、出陣前は山海の珍味をずらりと並べて兵にご馳走したといいます。

習字は、「来世はと」はサラリと、「一盃の酒」はスッキリと、「迎春花」は夢のように、というつもりで書きました。


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