川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

雪崩 444 武田勝頼

朝方、太ももがつってちょっと大変でした。で、少し心配でしたが海沿いを走って、嫁さんの合格をお祈りしてきました。

「日本史1200人」444 武田勝頼(1546〜1582)

武田氏第17代当主、戦国大名武田信玄の4男。信玄晩年期の戦のほとんどに従軍した。信玄が西上の途中で病死したため、信玄の死を隠して家督を相続した。領国拡大方針を継承するが、1575年の長篠の戦いにおいて織田・徳川連合軍に敗退し、領国の動揺を招いた。1582年、織田軍の侵攻の始まった2月14日に浅間山が噴火した。浅間山の噴火は異変が起こる前兆だと考えられており、武田軍は大いに動揺し、組織的な抵抗ができなかった。将兵は人間不信を起こし勝頼を見捨て逃げ出した。勝頼一行は武田氏ゆかりの地である天目山棲雲寺を目指したが、滝川一益の追手に捕捉され、嫡男や正室とともに自害した。これにより平安時代から続く甲斐武田氏は滅亡した。

「浅間噴き人の石垣雪崩落つ 武田勝頼 に 端遊」

雪崩(ナダレ)が2月の季語です。“人は石垣”の武田家が噴火に負けたのかなァ・・・長篠の戦いは3万8千人の織田・徳川軍と、1万5千人の武田軍が戦った合戦です。信長側は主力の鉄砲隊を柵・土塁で守る異例の野戦築城で、武田の騎馬隊を迎え撃つ戦術を採りました。

習字は、「浅間噴き」は強く、「人の石垣」は少しガタガタに、「雪崩落つ」はそれなりに、というつもりで書きました。


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