川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

野火 442 武田信玄

朝、海沿いを走ってきました。昨日からマインクラフトとGeminiの勉強を初めました。何だか忙しくなりました。嫁さんは友人たちと大盛り上がりの夜を過ごしたようです。

「日本史1200人」442 武田信玄(シンゲン;1521〜1573)

甲斐国・戦国武将、元服後・晴信、出家後・信玄。21歳の時に父・信虎を追放して家督を継ぎ、近隣諸国を平定後に越後の長尾景虎(上杉謙信)と川中島で激突した。川中島の戦いは1553年〜1564年に計5回にわたった。さらに今川氏を破り、北条氏と和睦するなどして、1572年に京都へ西上を開始した。織田・徳川連合軍を三方ヶ原で撃破し、織田信長包囲網を固めたが、直後に喀血し1573年に志半ばで没した。信玄は分国法を定め、交通の整備・治水事業・新田開発を行い、商業や経済も重視した。また、身分に関係なく、能力ある者を重用し、常に「人は石垣、人は城」といっていたという。

「野火無辺風林火山あと一歩 武田信玄 に 端遊」

野火(ノビ)が2月の季語です。野焼の火です。放った火で全てを焼き尽くした信玄を思いました。風林火山は信玄の軍旗に記され「疾きこと風の如く、静かなること林の如し、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し」を略したものです・・・甲斐には豊富な埋蔵量の金山があり、信玄の時代に日本最初の金貨「甲州金」が作られています。金は治水事業や外交にも使われました。信玄はヨーロッパの掘削技術や精錬法を積極的に取り入れたといいます。

習字は、「野火無辺」は強く、「風林火山」は堂々と、「あと一歩」はサラリと、というつもりで書きました。


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