川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

李散る 133 橘逸勢

 朝、海沿いをロングランして来ました。行きは油が切れたようにぎこちなく、帰りにやっと普通に走ることができました。土・日は夏目漱石森鴎外太宰治谷崎潤一郎坂口安吾を読みました。やっぱり僕と同世代前後の人がいいなと思いました。

「日本史1200人」の第133番の橘逸勢(ハヤナリ?〜842)です。

書家、官人。804年、最澄空海らと共に遣唐使となる。840年に但馬権守に任ぜられ、後に老いと病により静かに暮らしていたが、842年に謀反を企てているとの疑いで、伴健岑と共に捕縛された。両者は杖で何度も打たれる拷問を受けたが、共に罪を認めなかった。しかし、逸勢は姓を「非人」と改めた上で伊豆国流罪が決まった(承和の変)。逸勢は伊豆への護送途中に60余歳で病没した。この時、逸勢の後を追っていた娘は途中で父の死を知り、悲歎にくれ、父を埋葬し、尼となり墓の近くに草庵を営み、菩提を弔い続けた。

「非人では何に化けるか李散る 橘逸勢 に感じて」

李散るが4月の季語です。白い五弁の花を咲かせます。花言葉は誤解です。悲しすぎるので頓狂な句にしました。無実の罪を背負って死亡した逸勢は、怨霊となったと考えられ、863年に御霊会において祀られました。現在も上御霊神社下御霊神社で祀られています。遣唐使時代は中国語が苦手で、語学の負担の少ない琴と書を学ぶことになり、帰国後はそれらの第一人者となりました。特に書は柳宗元に学び、三筆のひとりです。

習字は、「非人では」はちょっと崩れた感じで、「何に化けるか」は強く大きく、「李散る」は弱く、というつもりで書きました。


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