川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

桜 141 藤原公任

 朝、バッハの無伴奏組曲を聴きながら海沿いをロングランしてきました。遠くの台風を伝える波が、場所によってビックリする程大きく崩れ落ち、波しぶきがかかって来そうでした。

「日本史1200人」の第141番の藤原公任(キントウ966〜1041)です。

公卿・歌人。大納言として政権を支える。詩歌・管弦にもすぐれ、「和漢朗詠集」「拾遺和歌集」「三十六人撰」などを撰し、マルチな才能を発揮した。三十六人撰に選ばれた和歌の名人が三十六歌仙である。長女を執政道長の子息・教通に嫁がせた時には、この結婚がよほど自慢であったようで、道長に反発を持ち同じ大納言の藤原実資に長々と喋って実資を閉口させた。一方で、経済的に不如意だったためか、実資から新婦の女装束を贈られている。なお、この結婚の引き出物が「和漢朗詠集」である。

「桜咲く歌で着物とチョと威張り 藤原公任 に感じて」

桜が4月の季語です。「桜咲く」を「結婚の試験に合格」と掛け、「僕の歌で、まァその着物を頂くよ」とチョッと空威張りしている公任をイメージしました。道長には迎合していたものの、自らの門地に対する誇りは高く、同僚の斉信に位階を越された際には半年間出仕を止めた上に、当時文人として有名であった大江匡衡に作らせた辞表を提出したこともあったそうです。

習字は、「桜咲く」は軽やかに、「歌で着物と」は図々しく、「チョと威張り」は半分威張り、というつもりで書きました。


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