朝、隣町に行き久しぶりに三人で楽しくウォーキングし、おしゃべりして来ました。話は尽きませんでした。
「日本史1200人」の第140番の大友黒主です。
歌人。大嘗祭に風俗歌、宇多法皇の石山寺参詣に歌を献上して賞されたとされる。勅撰和歌集に11首収められている。「古今和歌集仮名序」に「大伴黒主はそのさまいやし。いはば薪を負へる山人の花の陰にやすめるが如し」と紀貫之に評される。六歌仙の中で唯一「小倉百人一首」に選ばれなかった。
春雨のふるは涙か桜花ちるを惜しまぬ人しなければ
訳;春雨が降るのは、人々の思いが悲しみの涙となったのだろうか。桜の花の散るのを惜しまない人などいないのだから。
「様卑しだから落ちたか春嵐 大友黒主 に感じて」
春嵐が4月の季語です。おだやかな春の風が一転して疾風となり砂塵を巻上げます。唯一「小倉百人一首」に選ばれなかった黒主の口惜しさをイメージしました。「江戸時代に初演された常磐津節「関の扉(せきのと)」 では、黒主は天下横領を狙う敵役として活躍するが、舞台登場時は関守に身をやつし薪を割っている。」とのことで、「そのさまいやし」を引きづっているのでしょうか。
習字は、「様卑し」は悲しく弱く、「だから落ちたか」は激しく口惜しく、「春嵐」は耐えるように、というつもりで書きました。