川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

海鞘(ホヤ) 160 安倍貞任

朝、隣町に行き二人でウォーキングをして来ました。いろいろと積もる話もしました。土曜日にゆっくり話すことにしました。 

「日本史1200人」160 安倍貞任(サダトウ1019〜1062)

安倍頼時の子。前九年の役で活躍し東北各地で戦う。1057年、父・安倍頼時が戦死したため貞任が跡を継ぎ、弟の宗任とともに一族を率いて戦いを続け、同年、黄海の戦いで国府軍に大勝した。以後、衣川以南にも進出して、勢威を振るったが、1062年、国府側に清原氏が加勢したので形勢が逆転し、拠点が次々と落とされ、厨川の戦いで敗れて討たれた。その首は丸太に釘で打ち付けられ、朝廷に送られた。背丈は六尺を越え、腰回りは七尺四寸という容貌魁偉な色白の肥満体であった。

「戦って戦い疲れて海鞘(ホヤ)になり 安倍貞任 に 端遊」

海鞘が5月の季語です。浅い海の岩に付着する原索動物です。容貌怪異ですが肉は色白で美味です。何となく最後の貞任に掛けました。貞任の息子を含んだ残党が南下して逃れ、それぞれ姓を「阿部」に変え、新潟県南魚沼清水・群馬県湯桧曽・群馬県奥利根藤原に分かれ住み、昭和の戦後ぐらいまで三家の行き来があったそうです。 さて一区切りなので・・・次回から世界史です。

習字は、「戦って」は強く、「戦い疲れて」は弱く、「海鞘になり」は柔らかく、というつもりで書きました。「海鞘」はもう少し肥満体の方が良かったと、後から思いました。


f:id:tanyuu4792:20210519110430j:image