川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

凍る 67 阿倍野比羅夫

 朝、またゆっくり起きてしまいました。島は一日中雨のようです。嫁さんは隣町に本を借りに行く用事が有り、僕は生協の片付け当番なのでチョッと憂鬱な雨です。

「日本史1200人」の第67番の阿倍野比羅夫です。

飛鳥時代の日本の将軍(生没年不詳)。<蝦夷征討・粛慎討伐>658年に船軍180隻を率いて蝦夷を討ち、降伏した蝦夷の酋長に冠位を与え郡領に定めた。同年、粛慎(ミシハセ)を平らげ、生きているヒグマ2匹とヒグマの皮70枚を献上する。粛慎はオホーツク文化人と近い。翌年も船軍180艘を率いて再び蝦夷を討ち、660年には船軍200艘を率いて粛慎を討つ。<白村江の戦い>662年、新羅征討軍の後将軍として百済救援のために朝鮮半島に向かい、武器や食糧を送った。しかし、新羅と唐の連合軍に敗れる。

「凍る地に軍船二百クマよ来い 阿倍野比羅夫 に感じて」

凍るが1月の季語です。熊は12月の季語ですが、クマは「食料・強い者」の意で使いました。川柳ですし勘弁お願いします。白村江の戦いの後、比羅夫は筑紫大宰帥に任ぜられ、唐や新羅の来襲に備えた、防衛責任者になったようです。

習字は、「凍る地に」は強弱をつけて強く、「軍船二百」は抑えて、

「クマよ来い」強く、特に「来」は威張って、というつもりで書きました。名前で「倍」を「部」と書いてしまい、もう一度書き直しましたが、チョッと力が抜けてしまいました。


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