川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

御来迎 35 プラトン

 朝、隣町に行き、本当に久しぶりに三人でいつものコースを走り、楽しくおしゃべりをして来ました。

「世界史1200人」35 プラトン(前428〜前347)

プラトンアテネの裕福な家に生まれ、少年期から科学・文学・政治に興味を持っていた。しかし10代の終わり頃ソクラテスに出会ってから哲学に目覚め、ソクラテスが死ぬまで約10年間師事した。ソクラテスの刑死後は「ソクラテスの弁明」「饗宴」「クリトン」などを著し、師の思想を広めるとともに、自身の思索も深めていった。プラトンの哲学の中心は「イデア論」であり、真に実在するのは永遠不滅のイデア(観念)で、現実世界はイデアが様々な形で現れたものにすぎないという。そしてイデアの中でも最高の実在が「善のイデア」であると考えた。プラトンソクラテスと同様に衆愚政治に陥りがちな民主政治には反対で、少数の優秀な哲人による「哲人政治」を理想とし、それを「国家論」に著した。

「御来迎不滅のイデア渾然し プラトン に 端遊」

御来迎が7月の季語です。高山の晴れた日、太陽が昇り西に雲霧がある時、そこに立つと雲霧に自分の姿が移り、昔の人は仏の来迎と見ました。プラトンも御来迎を見たとイメージしました。プラトンアテネ郊外にアカデメイアという学園を建てましたが、この学園は529年まで存続しました。学会や学園などに使われる「アカデミー」の語源です。また、青年期はアテナイを代表するレスラーとしても活躍し、プラトンという名前そのものがレスリングの師から付けられた仇名であると言われています。

習字は、「御来迎」はスッキリと、「不滅の」は力強く強弱を付けて、「イデア」はカタカナらしく、「渾然し」は柔らかく、というつもりで書きました。


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