川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

山笑う 217 北条政子

 昨日、友達から子供がコロナに感染したとメールが来ました。軽症のようなのでひとまずは安心のようです。それから、昨日の午後から春が来たような感じです。今日の朝は海沿いを走って来ました。

「日本史1200人」217 北条政子(1157〜1225)

源頼朝の妻。頼朝存命中は、よき相談相手として幕府政治を支えた。頼朝の死後は出家して「尼将軍」として困難な政局を乗り切って行った。18歳で将軍を継いだ頼家を未熟と見るや修善寺に幽閉し、父の時政が後妻と組んで政権奪取を目論んだ時は父を伊豆に幽閉した。最大の危機は実朝が殺されて頼朝の直系が絶えた1221年、後鳥羽上皇が討幕の挙兵をした承久の乱である。政子は突然「朝敵」となって動揺する御家人たちに「故右大将(頼朝)の恩は山よりも高く、海よりも深い」と演説し、諸将を奮い立たせ大勝利に導いた。その後の政治の実権は、政子の弟・北条義時に委ねられた。

「恩深し尼はソプラノ山笑う 北条政子 に 端遊」

山笑うが3月の季語です。春の山が芽吹く様子ですが、政子の大演説に諸将が奮い立ったことに掛けました。一夫多妻の時代ではありますが政子は嫉妬深く、頼朝の多くの妾は政子の目を盗んで通わねばなりませんでした。頼朝の寵愛する妾(亀の前)の住まいなどは破壊させています。

習字は、「恩深し」はゆったりと、「尼はソプラノ」は明るく、「山笑う」は大胆にはみ出して、というつもりで書きました。


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