川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

耕馬 226 北条泰時

 土曜日は嫁さんと浜で飲んだりし、昨日は久しぶりに最西端の灯台に行ったりしました。暖かい春を満喫しています。今日の朝はいつものように一人で海沿いを走って来ました。

「日本史1200人」226 北条泰時(1183〜1242)

北条義時の子、3代執権。1224年、父・義時が急死したため、泰時は政子の後見の元、家督を相続して42歳で第3代執権となる。1225年に政子が亡くなると、連署評定衆を設け、1332年に日本で最初の武家法「御成敗式目」を制定する。弟の重時に送った手紙の中で、式目の目的について次のように書いている。<多くの裁判事件で同じような訴えでも強い者が勝ち、弱い者が負ける不公平を無くし、身分の高下にかかわらず、えこひいき無く公正な裁判をする基準として作ったのがこの式目である。京都辺りでは「ものも知らぬあずまえびすどもが何を言うか」と笑う人があるかも知れない・・・この「式目」は漢字も知らぬこうした地方武士のために作られた法律であり、従者は主人に忠を尽くし、子は親に孝をつくすように、人の心の正直を尊び、曲がったことを捨てて、土民が安心して暮らせるように、というごく平凡な「道理」に基づいたものなのだ。>

「式目で耕馬も笑う夷です 北条泰時 に 端遊」

耕馬が3月の季語です。正直者が得をすれば、使われる馬も笑います・・・「御成敗式目」は、それ以前の律令が中国法、明治以降現代までの法律法令が欧米法を基礎として制定されたのに対し、もっぱら日本社会の慣習や倫理観に則って創設されたという点で、日本法制史上特殊な地位を占めます。

習字は、「式目で」はスッキリと、「耕馬も笑う」は明るくはみ出すように、「夷です」はとぼけて、というつもりで書きました。


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