川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

春の闇 250 三善康信

 朝、一人で海沿いを走って来ました。途中雨に振られ、久しぶりにしっかり濡れました。シャワーを浴びて体重を測ったら53.9kgと先週より0.7kg増えていました。海はビックリするくらい荒れていて、フェリーは欠航になりました。

「日本史1200人」250 三善康信(1140〜1221)

元々は太政官の書記官役を世襲する下級貴族で、算道(算術の研究)の家柄の出身だが、母が源頼朝の乳母の妹であり、その縁で流人として伊豆国にあった頼朝に、月に3度京都の情勢を知らせていた。1180年の以仁王の挙兵の2ヶ月後、康信は頼朝に使者を送り、諸国に源氏追討の計画が出されているので早く奥州へ逃げるように伝えるなど、頼朝の挙兵に大きな役割を果たした。1184年に康信は頼朝から鎌倉に呼ばれ、「公文所」が新築されると、大江広元がその長官となり、康信は初代問注所執事(長官)として裁判事務の責任者となった。

「ふむふむと御ざる御座ると春の闇 三善康信 に 端遊」

春の闇が4月の季語です。月のない夜の闇です。闇の中で京の情勢を探り、頼朝に知らせる康信・・・をイメージしました。頼朝の死後は、2代将軍・源頼家の独裁を抑える十三人の合議制にも参加しました。承久の乱に際しては病身の身で会議に参加し、大江広元の即時出兵論を支持しました。

習字は、「ふむふむと」は盗み聞くように、「御座る御座ると」はチョット得意げに、「春の闇」は怪しげに、というつもりで書きました。


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