川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

クレマチス 271 重源

朝、今日も雨なのでバイクを漕ぎました。最高気温が22℃は3月並みです。パジャマを着ています。 

「日本史1200人」271 重源(1121〜1206)

真言宗・浄土宗の僧。3度宋に渡り、多くの仏像・経典や土木技術などを日本に伝えた。1181年、60歳を過ぎてから、平氏焼き打ち後の東大寺復興の大勧進職に任じられ、募金から建築までの一切を指揮し、14年後に大仏殿の落慶法要を行った。復興のためには時には強引な手法も用い、協力の約束を違えれば現世では「白癩黒癩(重度の皮膚病)」の身を受け、来世では「無間(ムゲン)地獄」に堕ちて脱出の期はないという恫喝的な文言を示している。東大寺には、重源の遺徳を称えるための「俊乗堂」があり、国宝の重源上人坐像が祀られている。

「優しげに上人坐像はクレマチス 重源 に 端遊」

クレマチスが5月の季語です。美しく優しげな花ですが、葉や茎から出る液には毒性が有り「策略」の花言葉を持っています。募金のために時には策略を用いた重源に掛けました。「精神の美」という花言葉も持っており、これもピッタリです・・・重源は自らも中国で建築術を習得したといわれ、自ら巨木を求めて山に入り、道を切り開き、川に堰を設けるなどして長さ39m・直径1.6mもの巨大な木材を奈良まで運び出したといいます。

習字は、「優しげに」は柔らかく、「上人坐像は」は素朴に、「クレマチス」はチョッと毒を含んで、というつもりで書きました。


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