川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

いぬのふぐり 257 ヴラド・ツェペシュ

朝、一人で海沿いを走って来ました。風がなかったのでTシャツ短パンで走りました。だんだん晴れてきました。

「世界史1200人」257 ヴラド・ツェペシュ(1431〜1476)

ヴラド3世、通称ドラキュラ公。トランシルヴァニア地方(現ルーマニア)のヴラド2世ワラキア公の次男。たびたびオスマン帝国の侵攻を受け撃退した。残酷な串刺し刑を繰り返し、これを見たオスマン皇帝は戦意を消失したという。人質・亡命・幽閉などを経て三たび公位に返り咲くが、現在のブカレスト近郊でオスマン帝国と戦って戦死した。「ツェペシュ」は姓でもミドルネームでもなく、「串刺し公」、原義では「串刺しにする者」を意味するルーマニア語の異名である。

「オスマンもいぬのふぐりも串刺じゃ ヴラド・ツェペシュ に 端遊」

いぬのふぐりが2月の季語です。野に咲く小さな花です。何となくのダジャレ句です・・・父が竜騎士団の騎士に叙任されたことから、ヴラドは竜(ドラコ)の息子ドラクレア(英語ドラキュラ)と呼ばれました。新約聖書では悪魔は蛇、ドラゴンとして描かれることが多く、ヴラドは「悪魔の子」という不名誉な見方をされるに至りました。

習字は、「オスマンも」は少し強く、「いぬのふぐりも」は弱く、「串刺じゃ」は大胆に強く、というつもりで書きました。


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