川柳と習字を与那国島から

日本史と世界史を題材に最西端の島から!

草笛 492 尼子義久

朝、善福寺川沿いを走ってきました。嫁さんは62歳下の同級生とのお付き合いが本当に楽しそうです。

「日本史1200人」492 尼子義久(ヨシヒサ;?〜1610)

戦国から江戸時代にかけての大名、武将。尼子晴久の嫡男。父・晴久の急死により家督を継いだ。毛利氏との石見大森銀山を巡る争いの中での急死であった。義久は、父の採っていた毛利氏との対決路線を変更し、和平をすすめようとしたが、この行動が尼子勢力の崩壊に繋がっていった。1565年、月山富田城が毛利軍に包囲された。毛利軍の兵糧攻めにより、累代の重臣たちが降伏、謀反の疑いによる誅殺など、城内は混乱の極みとなった。1566年、義久は月山富田城の開城を決意した。元就は義久とその弟たちの自決を認めず、助命と安芸在住を降服の条件としてこれを受け入れさせた。1589年、義久は元就の孫の毛利輝元より毛利氏の客分として遇され、安芸国志道に居館を与えられた。

「あかんたれ草笛吹いて下向いて 尼子義久 に 端遊」

草笛が5月の季語です。草の葉を唇にあててピーッと吹きます。葉の違いや吹き方で音色が変わります。「あかんたれ」は関西の方言で弱虫ということです・・・助命と安芸在住を降服の条件とした毛利元就には、儒の道に根ざした人道主義が端的に表れているといえます。

習字は、「あかんたれ」は弱く、「草笛吹いて」はそれなりに、「下向いて」は寂しく、というつもりで書きました。


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